湖畔の音工房に音楽制作依頼
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湖畔の音工房〜プロフィール〜

音響屋の父の影響で音楽が好きな子供として育ち、幼少期から家にあったおもちゃの電子ピアノで遊ぶことが大好きだった。小学生の頃、小室哲哉の曲に初めて音楽に感動し、作曲家になりたいという夢を抱くようになる。

中学に進学するとピアノで作曲を始める。シンセサイザー1台で作曲した曲を中学の文化祭でクラスの演劇の音楽担当になり、自分の曲を披露する。

通信高校と音楽の専門学校に進学したが、譜面が読めなかったため授業に追いつけず、グループレッスンでは他の生徒がピアノを演奏する中、私は見学するだけで音楽コースは1年で辞める。耳コピーや即興演奏は得意だった。

独学で音楽理論を学び、ギターやベース、ドラムなどを自己流で習得した。同時期にインディーズバンドのサポートキーボーディストとして初めて音楽でお金を稼ぐ。当時の最新機器であるpower mac G4を両親に購入してもらい、自分で貯めたお金でデジタルパフォーマー2.7を購入し、DTMを始める。

高校卒業後、コンペに参加し始めたが、なかなか曲が決まらず、アーティスト活動を試みたものの挫折を繰り替えした。数千曲も制作しては全く成果を上げられず、何年も試行錯誤を続けた。しかし、徐々にコンペでの成績も向上し始め、世界各国のクリエーターとの共作や有名アーティストとへの楽曲提供などの実績を積むことができた。しかし、業界に対する疑問や自分の理想とのギャップに苦しむようになった。

同時期に私は音楽の指導者として障がい者福祉施設で6年間勤務した。音楽療法士などの資格は持っていなかったが、音楽療法がどのようなものかを知り、新たに「音楽」のあり方を学んだ。

私が作曲した曲がアニメの主題歌になり、今井絵理子さんが歌う『はなかっパレード』を偶然施設の子供たちが知っていて、私が演奏すると大声で歌ってくれた。その瞬間、とても嬉しく鳥肌が立つくらい感動した。曲を作って良かったと心から思った。

ある日、富士山の麓にある河口湖に移住することを決めた。

色々思う事があった音楽業界から離れ、湖の湖畔で音楽を作り、一眼レフカメラを手にして写真を撮り、庭で冬には焚き火をしてさつまいもを楽しむ自由な生活を送っていた。アルバイトをしながら自主制作や試行錯誤を行いながら自由な音楽ライフを満喫していた。それが湖畔の音工房の始まり。

私の今の目標は、自分が感動した『音楽』というものを世に広めること。夢は、世界中の誰もが知っている曲を作り、その一人一人に感動を届けて、「この曲知ってる!いい曲だよね!」と言ってもらうこと。そのために、精力的に活動し、音楽を通じて世界中の人々に感動を届けたい。 

主な実績:嵐、JUJU、今井絵理子、竹達彩奈、三原JAPAN、日笠陽子、アイドリング!!!、夢みるアドレセンス、など

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