アルバムのアートワークについて、最初の頃は正直まったく気にしていなくて、普通にAIで生成した画像を使っていました。
ただ、音楽生成AIがどんどん盛り上がってくるにつれて、自分の中でAI生成に対する嫌悪感のようなものが少しずつ出てくるようになりました。
音楽は全部自分で作っているのに、アートワークはAIに作ってもらっている。
考えたら、自分の中ではすごく矛盾しているなと。
それから、アルバム『Grass』あたりを境に、自分で写真を撮って、それを編集してアートワークにするようになりました。
hibiki-no.のアートワークに使っているのも、基本的には自分で撮った写真です。
その辺を歩いていて見つけた景色だったり、北海道に行ったときに撮った写真だったり。
そうやって自分の生活の中で見つけた景色を使うほうが、hibiki-no.の音楽にも合っている気がしています。
ただ、ここでまた難しいのが「じゃあ編集はどこまで自分でやるのか」という問題。
さすがにアートワークを作る技術まで今の自分にあるわけではないので、編集ソフトを使いながら自分で加工したり、物足りない部分だけAIに補助的に編集してもらったりしています。
なので今のところ、
「元になる素材は必ず自分で用意する」
「空気感や雰囲気は自分で作る」
「足りないところだけAIに手伝ってもらう」
このあたりが自分の中での線引きになってきました。
先日も次のアルバムのアートワークに使う写真を撮ろうと思って、公園を散歩しながら色々と写真を撮ってきました。
そこで初めて、自分で撮った写真を元にAIで編集してみたのですが、これがいい感じにノスタルジックに仕上がりました。
元の写真は間違いなく自分がその場所で見て、自分で撮ったもの。
でも、最終的な空気感を作るところではAIの力も借りている。
こういうものをどこまで「自分の作品」と考えるのか。
AIに頼る部分の境目って、本当に難しいですね。
音楽については、もちろん今まで通りすべて手作りです。
アートワークについては、少なくとも元素材は自分で用意して、自分で方向性や雰囲気を決める。その上で、必要なところだけAIの力を借りる。
今のところ、自分の中ではこのあたりに線引きが定まってきました。
でも、作る側が気にしている線引きと、聴く側が気にしている線引きって、たぶん同じではないんですよね。
音楽を聴く側のみなさんは、どこまでが手作りだったら納得できるんでしょうか。
全部人間が作らないと嫌なのか。
元素材が人間のものであれば、AIで加工するくらいは気にならないのか。
それとも、音楽さえ人間が作っていれば、アートワークについては特に気にならないのか。
聴き手側の線引きってどのあたりなんだろうと、日々考えています。
そんなわけで。
公園を散歩しながら撮った普通の写真が、こんな感じになりました。



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